南果歩さんの演技に圧倒されたマサムネです。
麒麟がくるの深芳野は女の執念を感じさせますね。
例えば土岐頼芸がまだ自分のことを想っていると言いながらも、すぐに斎藤利政に色目を使う。
そんなドロドロした感じの女性です。
では実際の深芳野は、どんな人だったのか。
そして斎藤親子の関係をナゼ悪化させるコトになったのか。
この辺を戦国オタのマサムネが語っていきたいと思います。
深芳野(南 果歩)はどんな人?
【キャストビジュアル公開】
深芳野(みよしの)
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斎藤利政[道三](本木雅弘)の側室で、斎藤高政(伊藤英明)の母。
美濃一番の美女で、高身長だったそうです。
他には稲葉良通[一鉄](村田雄浩)の姉との話もあります。
ただ本編でこの説が採用されるかは微妙なトコロですが。
斎藤利政の側室になったワケ
もともと深芳野は土岐頼芸の妾(めかけ)だったんです。
ある時、土岐頼芸(尾美としのり)から褒美として、斎藤利政にプレゼントされたそうな。
美濃一番と言われる美女をゲットした斎藤利政は、深芳野を側室として迎えたというワケです。
なんだか愛やら憎しみやらが渦巻きそうな展開ですよね。
この辺の話から、執念を感じさせる深芳野が生まれたのかも。
ちなみに深芳野がどんな経緯で、斎藤利政に贈られたのかはハッキリとしていません。
「美濃国諸家系譜」という書物に、深芳野が斎藤利政に贈られたとだけ書かれているからです。
深芳野が側室になったエピソードとして、司馬遼太郎の小説「国盗り物語」にこんな一節があります。
土岐頼芸がお遊びとして「襖に書かれた虎の目を、槍で突くことが出来たら望むものを取らす」と話します。
コレを聞いた斎藤利政は見事に目を貫き、褒美として深芳野を貰うのです。
当時の権力者は絶対的な力を持っていたでしょうし、ありそうな話ですよね。
ホントに美女で高身長だったの?
先ほど話に出てきた「美濃国諸家系譜」、この中に美濃一番の美女で、高身長であったと書かれています。
美濃の守護だった土岐頼芸が深芳野を妾にしたり、力を持った斎藤利政が褒美にほしがるぐらいです。
よっぽどの美女だったのでしょう。
そして高身長については「美濃国諸家系譜」に具体的に書かれてます。
記録によると驚きの187cmだったそうな。
ちょっと大きすぎない?と思うかもしれんが、息子の高政も195cmだったと言われているのでホントっぽいです。
高身長で美人だった深芳野は、現代で言うモデルさんみたいな雰囲気だったのでしょうね。
モテモテだったのも納得です。
とはいえ当時の男性の平均身長は150cmぐらいなので、頼芸や利政とカナリの身長差があったかと。
当時はどんな価値観だったのか気になるぜ。
斎藤親子の関係が悪化したのはナゼ?
【キャストビジュアル公開】
斎藤義龍(高政)
(さいとう・よしたつ/たかまさ)
伊藤英明#麒麟がくる pic.twitter.com/V680GlEjjV— 【公式】大河ドラマ「麒麟がくる」毎週日曜放送 (@nhk_kirin) December 20, 2019
斎藤高政は斎藤利政の本当の子供では無かったせいで、関係が悪化したと言われています。
なんで斎藤利政の子供では無いと言われたのか。
まとめ
今回は女の執念を感じさせる深芳野と、斎藤親子の関係が悪化した原因について語ってみました。
深芳野は美人で高身長とモデルばりの人物。
でも土岐頼芸の妾になったり、斎藤利政にプレゼントされて側室になるという流転の人生を歩んでいます。
斎藤親子が不仲になった原因は、高政は利政の実の子ではない疑惑があったせい。
本当は誰の子供であったのか、深芳野のみが知っていたハズです。
もし深芳野が自分の存在を軽んじた男たちに恨みを持って、土岐頼芸と斎藤利政を失脚させようと子供を利用したのだとしたら…。
なかなかコワイ女性だった可能性もありますね。
ではまた別の記事でお会いしましょう!マサムネでした!