大河:麒麟がくる序盤の舞台は岐阜!明智光秀ゆかりの地を戦国オタクが紹介するぜ!

大河ドラマにハマりだすと、ゆかりの地を巡りたくてワクワクしてくるマサムネです。

2020年は明智光秀を主役とした「麒麟がくる」が遂に放送されます。

明智光秀と言えば織田信長に仕えているイメージがありますが、信長に仕える前は美濃(現在の岐阜県)を中心に活躍していました。

そこで今回は麒麟がくるの序盤の舞台となる美濃について、ゆかりの地などを交えながら語っていきたいと思います。

マサムネ
ロケ地についても調査したぜ!詳しくはコチラ↓↓
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そもそも美濃って岐阜県のドコなの?

現在の岐阜県を真ん中でバッサリ分けた下の部分、画像の色が付いている辺りが美濃になります。

序盤で明智光秀と大きく関わってくる土岐頼芸、斎藤親子の話はココを中心として進んで行きます。

美濃にはゆかりの地もかなりの数が点在しているので、ドコを巡ればイイのか悩ましいのではないかなと。

そこでマサムネがおススメの場所をピックアップしましたので、明智光秀の生涯をもとに時系列に沿ってご紹介しますね。

美濃編の時系列とゆかりの地

明智光秀誕生【明智城跡、落合砦】

美濃を納める土岐頼芸が斎藤道三(利政)に美濃を乗っ取られる【南泉寺】

明智光秀は斎藤道三(利政)の元で働く【岐阜城】

斎藤道三と息子の義龍がケンカ(光秀は道三の味方)【天龍寺】

義龍勝利で明智光秀は京へ【桔梗塚】

麒麟がくるの話の中では、明智光秀が道三の元で働く時期がズレる可能性はありますが、概ねこの流れになります。

続いてはマサムネがピックアップしたおススメの場所を、詳しくお伝えしていきますね。

マサムネ
美濃だけでもゆかりの地は沢山あるぜ!
織田信長に仕えた京も合わせると膨大な数に。
京については別の記事で紹介するから楽しみにしててくれよな。

美濃での明智光秀ゆかりの地はココだぜ!

明智光秀が美濃でどんな事を経験したのかイメージは掴めたと思いますので、続いては明智光秀にゆかりのある場所をご紹介していきます。

マサムネがピックアップしたおススメの場所は6か所!

コレだけ回れば麒麟がくるの舞台を堪能できると思うので、ぜひゆかりの地巡りの参考にして下さいね。

マサムネ
実際に光秀が訪れていたと思うと、ワクワクしてくるぜ!
大河はホントに居た人物の話だから、ゆけりの地に行くだけでグッとくるものがあるよな。

明智光秀の生誕の地(明智城跡)

明智光秀が生まれたと言われている城がココ。
今はお城も残っていませんが、本丸などの跡は残っている状態です。
岡の上にあるので、散策と展望台からの景色を楽しむのもおススメ。
光秀が生まれてから約30年過ごしたと言われている所なので、一度は見ておきたいですね。
だけど出生が謎多き明智光秀なので、生誕の地が複数存在しているんです。
その中でも有力な場所をもう一つ紹介します。
マサムネ
お城は斎藤道三の息子、義龍との戦いで落城して以来、再建される事も無かったそうな。

明智光秀の生誕の地 その2(落合砦)

出典:https://www.kankou-gifu.jp/spot/5829/

コチラも明智光秀が生まれたと言われている砦。

産湯として使ったとされる井戸もあるので、観光地っぽさはコチラの方があります。

明智光秀の父親は光綱と言われているケド、実はハッキリと分かってないので、生誕の地もココだ!とは言い切れない模様。

明智光秀は信長を倒した悪者として扱われたせいか、情報がハッキリ残ってないので生誕の地が複数あるのも仕方ないかな。

マサムネ
今のところ明智城跡と落合砦が生誕の地として有力みたいだな。
さすが謎多き男、明智光秀。

土岐頼芸は鷹の絵が上手いんだぜ!(南泉寺)

出典:https://www.kankou-gifu.jp/spot/6016/

土岐頼芸は美濃をお兄ちゃんから奪ってやっとの思いで主になったのに、あっという間に斎藤道三に乗っ取られちゃった悲しい経歴の人。

だが土岐頼芸はソレだけの人物ではなかったのです。

鷹の絵がプロ級に上手かった!

どんなステキな鷹を書いていたのか気になる所ですが、この南泉寺には土岐頼芸が書いたとされる鷹の絵が未だに残されているのです。

コレは一見の価値有りですね。

マサムネ
美濃の主なんて目指さずに、鷹の絵を描き続けてれば幸せだったのかな。

斎藤道三が住んでいた稲葉山城(岐阜城)

難攻不落と言われた斎藤道三のお城。
地形が切り立っているので、攻めずらかった事からそう呼ばれているが実は5回くらい落城している。
落城理由は内部の裏切り者や籠城したときの食糧不足など内的要因なので、城自体が難攻不落なのは間違いない。
主な城主は斎藤道三→斎藤義龍(息子)→斎藤龍興(孫)と斎藤一族だったが、最終的には織田信長に奪われた。
現在は城の内部は史料展示、展望台として使われているので観光にはうってつけ。
マサムネ
戦国と言えば城は外せないよな!
城は歴史に興味がない人と行ってもインパクトあるから受けがイイぜ。

明智一族の墓(天龍寺)

出典:https://akechimitsuhide.com/spots/seeing/p2330/

経歴がハッキリしない明智光秀は、最後もやはりハッキリとしない。

その結果、お墓が各所に点在しているのが実情です。

明智家は鷹の絵が上手い土岐頼芸と同じ、土岐家から分かれた一族とも言われています。

天龍寺には明智(土岐)一族を弔った墓所があり、光秀の供養も行っています。

明智城跡からも天龍寺は近いので、合わせて巡っては如何でしょうか。

毎月最終の金曜日には金の御朱印を頂けるので要チェック。

マサムネ
本堂には2m近い大きさの光秀の位牌が納められてるぜ!

明智光秀の墓(桔梗塚)

明智光秀は豊臣秀吉との戦いに負け、京都の小栗栖で亡くなったとされています。
ですがココ桔梗塚の伝説によると、京都で亡くなった明智光秀は影武者で、本当の明智光秀は岐阜に帰ってきたと言われています。
マサムネ
こう言う伝説って夢があってワクワクするよな。
更に話は続いていて、明智光秀は身代わりで亡くなった影武者の荒木山城守行信に感謝し、「荒」の字を頂いて「深」く感謝したので「荒深小五郎」と名乗る様になったと。
最後は関ケ原の戦いが始まる際に75歳の身で、徳川家康に味方する為に出陣したところ、途中の川で溺死しちゃって桔梗塚に弔われたそうな。
これは美濃を巡るなら、外せない伝説の場所ですね。
マサムネ
せっかく生き延びたのに最後は川で溺れたなんて切ないぜ…。
溺死が伝説の最後ってのがリアルっぽい気もするよな。

まとめ

今回は麒麟がくるの舞台となる、美濃についてご紹介しました。

明智光秀は信長を裏切った悪者として扱われたせいか、歴史的資料が少なく、謎多き人物です。

 

そのせいで、ゆかりの地も各地に点在していてドコを回るか悩ましいと思います。

今回ご紹介した美濃編に続いて、信長に仕えた京編のゆかりの地についてもご紹介予定ですので、また見に来てもらえると嬉しいです。

 

ではまた別の記事でお会いしましょう。マサムネでした!

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