うしおととらの紅煉が顔に刺している刀について戦国マニアが語るぜ! 

うしおととらをリアルタイムで読んで、号泣していたマサムネです。

今回は藤田和日郎先生の漫画「うしおととら」について戦国マニアの視点で語っていきます。

特に作中に登場する強力な妖である「紅蓮」(ぐれん)は残忍なうえに強いというたちの悪い妖で、顔には3本の刀を差しています。

作中ではこの刀については詳しく語られていないので、マサムネが時代背景をもとにお伝えしていきます。

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うしおととらはどんな作品?

うしおととらは週刊少年サンデーで1990年から1996年に連載された漫画で、その独特の絵柄からマサムネの周りでは、好き嫌いが別れる作品でした。

読みにくそうと言ってる人にも無理やり読ませると大抵ハマるので、読んだことないあなたにもおススメです!

マサムネは当時から藤田和日郎先生の迫力ある絵柄が大好きで、違和感なく読み始め、ストーリーやキャラクターの心情などに心を鷲掴みされました。

 

ストーリーを簡単にお話しすると、潮(うしお)という少年が蔵で見つけた槍を引き抜いたことで「とら」という妖(あやかし)の封印を解いてしまうところから始まります。

この槍は獣の槍といって妖を倒す事に特化した槍で、この槍を中心に多くの妖やそれに関わる人たちの心情を熱く描いた作品です。

 

妖は日本古来のものが多いので、話の中心も日本かつ歴史に因んだものになっていて、マサムネが大好きな刀や鎧なんかも出てきます。

そこでマサムネが注目したのは強力な力を持った紅煉という妖についてです。

次のコーナーではその紅煉が顔に刺している刀について、刀大好きっ子の視点で語っていきます。

 

マサムネ
アニメも良いけど、漫画はキャラが更に濃く描かれてるんで感動が深いぜ!
ヒョウさんと紅煉の戦いとか感涙ものだぜ!

紅煉の顔の刀について語る

ヒョウさんの宿敵である紅煉は顔に三本の刀を刺していて、これを使って敵を切り裂きます。

この刀は妖を倒すことに特化した霊刀という事は分かっていますが、それ以上の事は謎です。

そこでマサムネは刀と言えば日本だよね?という思いから、日本の歴史大好きっ子として、この刀がどうやって紅煉の手に渡ったのかを考察していきたいと思います。

作品の時代背景

まずうしおととらの時代背景から考えていきましょう。

連載されていた当時は1990年であり、作中でも90年ごろの雰囲気が感じられるので、うしおととらの時代は1990年と仮定します。

次に紅煉が妖として最初に暴れまわっていたのが1700年前とヒョウさんが語っているので、逆算すると西暦290年ごろになります。

西暦290年ごろの日本

西暦290年と言えば日本では卑弥呼が亡くなった(248年ごろ)後で、魏志倭人伝以降の詳しい文献が無く、空白の4世紀とも言われる古墳時代です。

古墳時代には、ちょうど日本刀の原型となるものが日本で作られたと言われており、直刀といわれる反りの無い武器が作られていました。

紅煉が顔に刺しているものも反りの無い直刀に近い形状なので、紅煉が暴れまわっていた時代に作成されていた武器と一致します。(紅煉が伸ばした時は反りながら伸びるけどね)

直刀は白面の者が渡した

白面の者が紅煉に刀を渡したことを考えると、日本で直刀を手に入れる必要があるので、白面の者が日本に来た時期を割り出す必要があります。

白面の者=九尾の狐と仮定すると、九尾の狐は遣唐使の吉備真備が日本に帰国する際に船に同乗してきたと伝説が残っています。

吉備真備は2度、中国に渡っていて、九尾の狐が日本に来たのは2度目の帰国の時である753年です。

 

そうなってくると紅煉が暴れた時期である290年(463年の差)と大きくズレが生じてきます。

こう考えると残念ながら、白面の者は日本で直刀を手に入れたとは考えにくいです。

直刀はどうやって入手した?

290年ごろ白面の者は中国に居たので、刀に似た直刀は中国で手に入れるのが自然だと考えられませんか。

290年ごろの中国で、日本にもある直刀に似た武器を探してみると七星剣とよばれる物があります。
(日本の七星剣は四天王寺が所蔵)

 

七星剣は三国志で曹操が董卓を暗殺しようとする時に使ったもので、この事件がおこったのは189年です。

189年なら290年に紅煉が白面の者から同等の武器を手に入れても不思議はありません。

 

という事で今までの経緯から紅煉の顔に刺さっている刀は、西暦290年より以前に中国で作成された直刀だという結論に至りました!

この当時に妖を恨んでいたギリョウさんのような中国の刀鍛冶が、3本の霊刀を作ったのでしょうね。

 

ちなみに紅煉の描写では、七星剣に掘られている北斗七星が見られないので七星剣とは考えられません。

 

マサムネ
パッと見は刀だから、日本のモノだろうと思ったけど検証してみると深いよな!
作中で紅煉を良く見ると直刀として描いているあたり、さすが藤田和日郎先生だぜ!

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白面の者は実在したのか?

白面の者こと九尾の狐の話題が出てきたので、九尾も大好きっ子のマサムネは更に深堀していきたいと思います。

九尾の狐は753年に若藻と言う少女の姿で、吉備真備などの遣唐使に混じって日本に上陸しました。

 

その後は日本に潜伏を続けて、鳥羽上皇に寵愛された玉藻の前として再び歴史の表舞台に現れるのです。

鳥羽天皇が上皇になったのが1123年なので、約370年間も日本に潜伏していたことになります。

 

玉藻の前は鳥羽上皇に取りつき病を悪化させていたところを、安倍晴明の子孫である安倍泰成に九尾の狐であることを見破られます。

正体がばれた九尾の狐は那須野(栃木県の那須)に逃げ込みますが、旅人や婦女子を襲い続けたことで鳥羽上皇に8万の軍隊を差し向けられて退治されたのでした。

 

退治された九尾の狐は殺生石と呼ばれる毒を吹き出す石に姿を変えて、今も那須湯本の鹿の湯付近に存在しています。

という事で殺生石が存在するので、九尾の狐は実在したと考えるとワクワクしますね。

 

ちなみにマサムネはこの殺生石を見に行ってきましたが、今も毒を吹き出しており草木は枯れ果て、蝶やスズメバチも近くで死んでいました。

ウソっぽいですがホントの話で、実際には硫化水素ガスが山肌から噴き出していて上記のような状態になっています。

立ち入り禁止の場所もあるぐらいなので、ふざけて入ったりしてはいけませんよ。

 

マサムネ
玉藻の前こと九尾の狐は、鳥羽上皇が寵愛した藤原得子(ふじわらのとくし)がモデルらしいぜ!

 

まとめ

今回は漫画うしおととらについて語ってみました。

 

この作品は人間や妖の心情を熱く描いた作品なので、大人になってから読んでみると違った楽しみ方ができますよ。

昔読んだというあなたも、もう一度読み直してみてはいかがでしょうか。

 

ヒョウさんと紅煉の戦いから結末までを何回も見直しましたが、あそこは本当にグッときます。

では別の記事でお会いしましょう。マサムネでした。

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